PROFILE
プロフィール
特定非営利活動法人 日本スクールコーチ協会 理事長
ウーマンライフ研究家
蘓原 利枝
Toshie Sohara1984年 | 主婦から突然イタリアンレストラン開業 開業3年目に、1日14回転、売り上げ日本一と言われる |
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1989年 | 高級ランジェリーショップ「シンデレラ」開業 コンテストで日本一の売り上げを達成 |
2007年 | 人生を変えると決意し、社会貢献を目指し2店舗閉店 |
2008年 | NPO法人「日本スクールコーチ協会」設立、全国6支部 文部科学省の後援のもと、全国で設立10周年記念イベント開催 |
2011年 | 「株式会社ウーマンズプラットフォーム」設立 起業家や経営者対象のセミナーやコンサルティングで成幸者の育成 |
2019年 | 「女性の学校」創設 自分軸で自由に生きる女性のための支援 |
2020年 | 「人生Reスタート」オンラインサロン開設 クラウドファンディングで目標額を達成し、 「Edu Coaching Labo」を学生と創立 |
2021年 | 一番難しい仕事である子育てをもっと楽しんでもらいたとの想いで、 「ファミリーコーチング」を開催 「人生Reスタート」オンライン講座開催 |
蘓原利枝 ストーリー
幼少期~学生時代
私は群馬県で高級紳士服店を営む両親のもと、5人兄弟の2女として生まれました。
父が子ども会の会長の時の行事で鳩山一郎総理大臣の軽井沢の別荘に行って総理にお会いしたことが記憶に残り、父のように将来は人の役に立つ人間になろうと子どもながらに思ったのでした。
高校を卒業し、子どもの頃から憧れていた東京で自動車販売会社や広告代理店で働きながら洋裁の専門学校を卒業しました。
幸せな生活
24歳で結婚。26歳で長女が生まれ、27歳でマイホームを建て、29歳で次女も授かり、子育てをしながら趣味やボランティアで充実した日々を送っていました。
子どもが成長した後の人生を考えて好きなことを仕事にして経済的自立すると決め、雑誌で見たアートフラワーに魅せられて習い始めました。
2年後には自宅に教室を開き教えていました。有名雑誌に作品が掲載されるなどし、アートフラワーの学校を作る夢を持ち、愉しい生活を送っていました。
天国から地獄へ
そんなある日、突然、夫が事件に巻き込まれ会社を辞めることになり、家族の人生が180度転換しました。
「一生懸命生きていても、どうにもならない出来事は起きるんだ」と過去の生活をあきらめた時から、「本当の私」の人生が始まりました。
1984年
ど素人主婦が突然のレストラン経営。夫は脱サラし、当時の私のやりたくない職業No.1の飲食業をすることになりました。
家を売り、借金もして、ショッピングセンター内のお店を社員共々居抜きで購入。この無謀とも言える選択は、根拠のない自信と直感からでした。
ターゲットを女性と家族に絞り、当時は珍しいワンプレート料理をメインにパフェやケーキなども充実させ、早い、美味しい、安い、の3拍子に笑顔の接客で店は大繁盛しました。
自分たちの利益や効率を考えず、お客様が喜んでくれることだけを考え、目の前の仕事に集中しました。
開業から3年目には一日14回転、全国ショッピングセンターの中でも一番の売り上げと言われるようになりました。
窮地に追い込まれると、「才能が引き出されるんだ!」と、この時思ったのです。
1989年
レストラン開業から5年目、高級ランジェリーショップを開業。経済的に余裕ができたので、本当にやりたいことをしたいと考えていた矢先、「ショッピングセンターの中で一番働く女性」と言われ、もう一店舗やって欲しいと頼まれました。
本当に売りたいものが無く迷っていたある日、お風呂上がりに美しいランジェリーを身につけた自分の姿を鏡で見たときに、「これだ!」と閃きました。
大好きなランジェリーで「女性を幸せにしたい!」と、突然、強い想いが湧き出したのです。「田舎で高級品は売れない」「絶対失敗する」と周りに反対されても、「絶対売れる」と根拠のない自信でランジェリーショップを開業しました。
店名は「シンデレラ」、お客様も社員も私もシンデレラになるがコンセプトでした。
頑張っている女性が一時でも現実を忘れ、「夢のような空間で幸せな気分になり、また、頑張ろうという気持ちになる。」そんなお店をコンセプトとし、ディスプレイや飾り棚なども一流品のものを揃えました。
しかし、開業した当初は女性差別とランジェリー業界の3つの壁に阻まれました。
1つ目の壁は、当時は女性が起業すること自体が殆ど無かったこと。2つ目は、個人がショッピングセンターでランジェリーショップを経営するのは条件的に無理だったこと。3つ目は、男性社会の中で、女性が対等に扱われなかったこと。
メーカーに交渉に行っても、「奥さん、素人が手を出すと失敗する、辞めた方がいいですよ」と言われ、取引ができなかったのです。
世間知らずの私は、逆にモチベーションが上がり、船井総合研究所のコンサルトに応援を求めました。コンサルタントと一緒にメーカーに行くと、手のひらを返したように対応が違い、良い条件で取引が開始されました。
「シンデレラ」は次第に本物を求めていた女性の心をつかみ、「シンデレラのランジェリーが欲しい」と、クリスマスやお誕生日のプレゼントに指名される店にまでなりました。
また、メーカーのデザイナーが店を訪れ新しい商品の相談をされたり、トップメーカーの社長や全国のお店のオーナーも「高級品が売れる秘訣を知りたい」と訪れてくるようになり、店の広さも11坪から25坪、その後35坪になり、年商1億5千万円、売上は日本一に。
開業から1年後、売上目標の200%を達成することができました。「商売のセンスがある、バランス感覚が天才的だ」とショッピングセンターから言われ、好きなことには才能がある、頑張れば開花することを体験しました。
しかし…
人生は光と影、仕事が上手くいった裏では、悲しい出来事もありました。
お店が軌道に乗ってきた矢先、乳がんが発見され、4ヶ月の入院生活を送ることになったのです。毎日天井を見つめながら「私の人生はなんだったのだろう?」と生きていく意味や人生の目的について考える日々が続きました。
両親の老後のため、子どもたちの将来のためと、自己犠牲をしていたことに気づき、自分を大切にしない生き方は、自分も家族も不幸にすると気づいたのでした。人生で大切なものは、「家族と仕事」それがあれば何もいらない。それを大切にするために、まず自分を大切にする生き方を選択しました。
4ヶ月後、無事退院し仕事に復帰できた時は、病気の前とは見るもの聞くこと全ての世界が変わっていました。ドクターから、「乳癌の手術をした女性が自信をなくし、離婚や仕事のことで悩んでいるので助けてやって欲しい」と頼まれ、大勢の患者さんと接し元気になる姿を見ているうちに自分の病気も完治しました。
悲しいことを乗り越えた後は、最高の喜びも待っていました。開業5年目位から、毎年パリのランジェリー展に行き、気に入った商品を直輸入し、アクセサリーや小物なども仕入れ、外国で仕事をしたいという夢が全て実現しました。
ある年は、パリ展示会の会場で日本人記者に取材され、親子でランジェリーの雑誌に掲載されたこともありました。仕事が済んだ後は、パリとロンドンに留学していた娘たちとヨーロッパの国々を訪れ美術館廻りをするのが一番幸せな時間でした。
ドイツのマイセンで見たレースドールの美しさに魅了され、東京に帰ってから直ぐにレースドール教室に通いました。二女が陶芸家の道を選んだのも一緒にマイセンを訪れたことが影響したと思います。ロンドンでの留学が終わり帰国した長女は、大手メーカーで修行後、シンデレラで一緒に働くことになりました。
仕事は全て順調で何も問題はないと思っていた矢先、長女が体調を崩し、歩けなくなってしまいました。原因はストレスでした。私自身も同居していた両親や兄弟との関係に悩み、精神的に辛いことがありました。もしかしたら、「長女と私の問題の根源は同じかも知れない」と感じ、長女と話をしました。
娘たちが小学校6年と3年の時に、レストラン開業のため私の実家に引越し、両親と一緒に住むことになった二人は、私に全く心配をかけることなく成長しました。しかし、私の知らないところで、家族関係の問題でトラウマを抱え、二人共傷ついていたことを知りました。
聞いた時はショックで自分を責め、後悔もしましたが、子どもたちが傷を癒し幸せになって欲しいと強く願い、心理学の勉強を始めました。娘と一緒に心理学・カウンセリングなどを学び、心を開き話し合いを深めていく中で、自分たちを苦しめている原因が分かりました。
そんなある日、「お母さんのお陰で私は本当に幸せになりました」と長女から電話で伝えられました。その言葉を聞いた瞬間心の中をそよ風が吹き、「これが本当の幸せなんだ」と生まれて初めての感動で心が震えました。
このことがきっかけで、私たちは使命に気づき人生を大きく変えるのでした。
物で人を幸せにする時代は終わった。心で人を幸せにできる仕事をしたいと思い、お世話になった両親の介護のこともあり、リタイアすることを決めました。これからは社会に恩返ししたいと考え、家族で話し合い22年間続けてきた2店舗を閉店することにしました。
お客様、メーカー、ショッピングセンターからは、「上手くいっているのに何で辞めるんですか?」「辞めないで欲しい、困る」との声に心が痛みましたが、ティーパーティーを開き素直な気持ちを伝え、分かってもらいました。閉店の日には沢山の花束が届き、幸せと感謝で生涯忘れることのない最高の想い出となりました。
閉店後、大手メーカーから「昨年度売上伸び率No.1」で表彰され、賞金で社員と京都のお花見旅行に行き、感謝の気持ちを伝えることができたことも良い思い出として今でも心に残っています。
2008年
「子どもに夢と希望を!」との想いで、NPO法人日本スクールコーチ協会を設立。親子で色々なことを乗り越えてきたことが世の中の役に立てるのではないかと考え、子どもを幸せにするNPOを娘と立ち上げました。
仲間と力を合わせた設立記念講演会は北原照久氏の基調講演で始まり、180名の参加者のみなさんと一緒に次世代の子どもたちの育成に尽力しようと誓い合う感動の場となりました。
全国6支部で活動を続け、国際水準のスクールコーチ養成プログラムが誕生しました。2018年には協会設立10周年を向かえ、大学の准教授の応援と文部科学省の後援を受け、全国で設立10周年記念イベントを開催しました。
色々な想いをもった方が集まったのでミッションや活動ついての考え方の違い、コミュニケーションギャップなど、人間関係の問題が重なり設立当初は大変なこともありました。
「こんなはずじゃなかった」と、自分自身の課題に向き合い、自分を変えることで問題は解決し素晴らしい人たちの集団となりました。新しい時代を力強く生き抜く子ども達を育てるため、新たなステージに向けて活動している最中です。
2011年
(株)ウーマンズプラットフォームを設立。東日本大震災にショックを受け、女性の活躍が日本を元気にすると考え、頑張っている女性と家族を幸せにしたいとの想いで、女性支援の会社を設立しました。
問題が解決できた時のクライアントさんのホッとした笑顔に、心からの喜びを感じ、天職だな~と幸せを感じることができました。
2018年
新しい時代の幸せな生き方を創る「女性の学校」を開始。
私自身の様々な問題を乗り越えた智慧と、心理学、脳科学、NLP、コーチング、成功哲学、統計学、東洋思想などで学んだことをみなさんと分かち合う場を創りました。
グローバル時代、これまで経験したことのない時代を私たちは生きていくことになります。今まで大事にしていた考え方や価値観を見直し、利他の精神をもって誰もが幸せに生きることのできる社会を目指します。
幸せな女性は家族を、周りを、日本を、世界中の人を幸せにすることができます。まだまだこれからも女性のメンターとなり応援し続けていきます。
主婦から突然ビジネスの世界に飛び込んだ30代後半~50代後半まで、ビジネスと子育ての両立、親の介護、自らの病や人間関係の問題等々、女性が人生で体験するであろう全ての課題が襲ってきました。
苦しい中でも課題に前向きに取り組み、困難を乗り越える度に強くなると同時に可能性が引き出されていきました。そして、課題を乗り越えた後は、望んでいた夢が殆ど実現しました。
これまでのあらゆる経験から振り返ると、「これを知っていれば、あんなに苦しまなかった」という体験が沢山あります。
その中でも、子どもを育てる時に、親や社会の価値観を正しいと思って関わることで、子どもに与える影響の大きさや、母親の幸福度が子どもの幸福度に大きく影響すること、大人になってからあらゆる問題で苦しむことの根源が、幼少期~思春期までの親子関係にあることの現実。
私自身の後悔や内省を超えたところで、「本当に幸せを感じる人生」を生きたいと思い、私自身と家族の幸せについて20年以上前から親子で探求してきました。
人生から与えられた使命(役割)と思うことを仕事につなげていくと、天から授かった才能が開花していくことも、ビジネスの中で幾つか体験しました。また、自分だけではなくクライアントさんの自己実現を目の当たりにして更に確信が深まりました。
4つの異業種のビジネス経験、10万人以上の女性からの相談経験、20年以上親子で心理学を学び実践してきた体験、14年間のNPO法人での人を育成するコーチングの研究、あらゆる心理学、NLP、自己実現、東洋思想などを使い、誰もが「幸せだな~!」と感じられる人生をつくるサポートをしていくことを使命とし、自らも人生から与えられた役割を全うできる生き方を続けていきます。